【インタビュー】世界最強クラス「格ゲー」プロゲーマー・Infiltration ~3年でストIVの頂点に立つまで

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『ストリートファイター』シリーズは世界各国でカリスマプレイヤーを生み出してきた。おとなり韓国のトッププレイヤー、Infiltration(インフィルトレーション)選手もそのひとりだ。『ストⅣ』をきっかけに表舞台に登場し、世界各地の大会で優勝。ゲーミングデバイスメーカー・Razerと契約し、韓国初のストリートファイタープロゲーマーとなった男である。ウメハラ、ときど、ジャスティン・ウォンなどのライバルとして活躍し続けるプロゲーマーに、これまでの軌跡、そして『ストⅤ』の手ごたえを語ってもらったぞ!

全3回に分けてお届けするロングインタビュー。第1回はゲーム好きの店員が世界の頂点に立つまでの経緯を伺ったぞ。(聞き手|スカロケイ)

インフィル選手インタビュー

第1回 3年でストIVの頂点に立つまで
第2回 「ウメハラは乱されない」インフィルがライバルたちを語る!
第3回 プロ契約の裏側と『ストV』上達法を語る!

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ゲーム店員、『ストⅣ』と出会う

――インフィルトレーション(以下、インフィル)選手が本格的に格ゲーを始めたきっかけは『ストリートファイターⅣ』だと聞きました。それまでは格ゲーをプレイしてなかったんですか?

インフィル 格ゲー自体は幼いころからプレイしてきました。『ストⅡ』、『餓狼』シリーズ、『KOF』シリーズ、『鉄拳』シリーズなど。韓国でまだゲーセンが盛んだった90年代に学生生活を過ごした方々と大差ありません。ただ、本格的なプレイはしてなかったです。他の人もやってるし、じゃ俺も……くらいのレベルでした。

――『ストⅣ』を本格的にやり込むきっかけとなったのは?

インフィル 成人してからソウルの有名ゲームショップ(ハンウリ)でアルバイトをすることになりました。そのころゲーム雑誌で家庭用の『ストⅣ』が正式発売されるという情報を見まして。久々のナンバリングタイトルでしたし、シリーズ初の韓国語字幕入りだったので、これはやるしかないぞ! と。それでプレイを始めてみたら、ネット対戦の環境が想像以上に素晴らしかったんですよね。韓国でアーケード版を置いているゲーセンがあまりなかったのもあり、家庭用でゲーセンレベルの対戦ができるというのは相当大きかったんです。

――どういう経緯で、ゲームショップで働き始めたのでしょう?

インフィル ゲームショップで新品のパッケージを購入し、帰りに開封してマニュアルを読むのが楽しすぎたんですよね。それで自分もゲームを販売し、他の方にその感覚を伝える人になりたかったんです。で、ある日、国際電子商街というところにハンウリというゲームショップがあると知りました。最初は客として顔を売るくらいでしたが、通っているうちに昔の記憶が甦って「ここで仕事したいです!」と。すると面接を受けることになり、そのままとんとん拍子で仕事を始めることになりました。

――『ストⅣ』をプレイし始めたころは、どうでしたか? 当時の実力は?

インフィル まあ……いわゆる初心者でしたね(笑)。幸い自分はゲームショップで働いて、いろいろなジャンルのゲームを数多くプレイしていました。ゲームを売る立場なので、お客様にちゃんとゲームを勧めるにはゲームを知っておく必要があったんです。そんなわけでゲームを分析し、理解する生活になれていて、『ストⅣ』もゲームシステムや仕組みを理解するのは相当早かったんです。最初に選んだキャラは豪鬼でしたが、かなり強いキャラだったのでオンラインでも難なく勝利を重ねていきました。

海外大会へのチャレンジ

――オンライン対戦を楽しんでたインフィル選手が、海外大会に出るようになったきっかけは何だったのでしょうか?

インフィル 2010年の夏にフランスで開催されたEスポーツ大会「Electronic Sports World Cup(ESWC)」に招待されたのがきっかけです。これが自分にとっては初めて海外大会。当時英語が堪能な友達がいまして、その彼と、ESWCだけでなくアメリカのEVOに出てみないか? という話をしたんですよね。6年前なので詳しい経緯は覚えていませんが、二人で何とか金を集めて、2つの大会に出場しました。ところが、初めての海外大会なのにESWCで4位、EVOで3位に入れたんです。

――海外大会に自腹で出場して、いきなりこれほどの成績を収めたというのは驚きです。当時の気持ちはどうでしたか?

インフィル 正直なところ、嬉しいという気持ちはそんなになかったんです。ただ……楽しかった。今の韓国にはゲーセンがあまりありません。90年代にはみんなゲーセンに集まって対戦し、パソコン通信などで他のプレイヤーと出会っていましたよね。でも大会ではそういう人が3~4人じゃなく、1,000人単位で集まり、ホテルのラウンジを貸し切って全員格ゲーをプレイする。あまりにも不思議な場面でした。それを見た瞬間、「大会で必ず勝つ」という気持ちよりは、この不思議な場所を楽しみたいという気持ちの方が大きくなりました。

――海外大会を経験して、心境の変化はありましたか?

インフィル 海外大会を経験した後は、それまで以上にオフラインで相手プレイヤーと顔を合わせながら対戦したいという欲求が強くなりました。『ストⅣ』のオンライン対戦はものすごく快適ですが、やはりオフライン対戦には勝てません。人と出会い、対戦し、会話をすることの楽しさを知ってしまったのです。それ以後は積極的に外に出ることになりました。

――当時のメインキャラは豪鬼でした。豪鬼をメインキャラに選んだきっかけを教えてください。他のキャラも多かったはずですが、なぜ豪鬼だったのですか?

インフィル アーケード版が稼働した当時、唯一の隠しキャラだったのが豪鬼です。自分にはこの「隠しキャラ」という言葉がすごくかっこよく聞こえてまして(笑)。キャラのスタイルも当時の自分にかなりフィットしました。豪鬼は当時、評価がちょっと低かったんですよね。日本では、研究不足などで、初期にはC級評価まで下されていました。しかし、自分はそうは思えなかった。なのでこのキャラの強さを自分の手で証明してみたいと思いました。また当時トップクラスだったサガットは移動速度が遅く、自分のスタイルには合いませんでした。自分は性能が悪くてもすばやく動けるキャラを選びます。

2012年、世界の頂点に立つ

――インフィル選手を語る上で外せないのは2012年。EVO2012年では『スパⅣAE2012』と『ストクロ』で2冠に輝くという偉業を成し遂げました。

インフィル 今振り返ると、2012年は運がよかったんです。当時の優勝候補は、日本のウメハラ選手、アメリカのジャスティン・ウォン選手など、90年代から一線で活躍してきた、それはもう誰でも知っているスター選手たちでした。自分は2010年と2011年にある程度優勝してきましたが、EVO優勝候補としては注目されていませんでした。自分なりに熱心にプレイを重ねて、スキルも最高潮に達した状態でしたが、完全ノーマークだったので何のけん制も受けませんでしたね。それが一番大きかったのだと思います。『ストクロ』に関しては本当に自信がありました。当時の世界の誰よりも練習を重ねていたと自負できるレベル。なのでこちらも無難に優勝できました。

004▲日本とアメリカ以外の選手がEVOのストリートファイター部門で優勝したのは、インフィル選手が初。大会2冠も韓国人選手としては初の快挙だった。格ゲーを本格的に始めて3年あまりでの偉業達成は驚きだ。

▲EVO2012では、生きる伝説、ウメハラ選手を完封した 。

 

――そして2012年最後の大一番だったストリートファイターシリーズ25周年記念大会。インフィル選手は、この大会でも『スパⅣAE2012』と『ストクロ』で優勝しました。優勝までの過程も驚きです。二種目とも途中で負けルーザーズに落ち、そこから這い上がり、自分をルーザーズに送った選手を完封しての優勝でした。

インフィル EVO2012は優勝に相当自信がありましたが、25周年大会は「果たして自分が優勝できるのか?」という不安が大きかったです。でも、ルーザーズに落ちた瞬間に、2種目とも優勝できると確信しました。

――ルーザーズに落ちたのに優勝を確信したんですか?

インフィル 『スパⅣAE2012』ではウメハラ選手に3-0に負けました。試合前は一人で怯えていましたね。「ウメハラ選手なら、何か新しい武器を仕込んでいるはずだ!」と。その不安でプレイが乱れて負けましたが、ウメハラ選手のプレイがそれほど変わってないという感覚を受けたんです。「OK、それなら次に会っても100%勝てる!」と。決勝まで行き、再び対戦することが決まり、自分の予想が見事に的中しました。『ストクロ』でももときど選手に負けてルーザーズに行きましたが、やはりその負ける過程でときど選手のプレイスタイルと特徴を把握できました。それで再び対戦した時に勝つことができました。

008▲ストリートファイターシリーズ25周年記念大会。ウメハラ選手、ときど選手を破っての2冠達成は大きい!

――25周年大会では、特別副賞としてスポーツカーをゲットしたそうですね。韓国に持ちこんだけど今は手元にないという話を聞きました。

インフィル はい、売りました(笑)。持って帰るときに相当苦労したんですよ。費用問題もそうですが、そもそも「海外のゲーム大会に出てその商品でスポーツカーをゲットし、それを自国に持ち帰る」というのは、普通に生きていたら、まずしない経験じゃないですか(笑)。どうすればいいのかまったくわからない状態で、ガイドラインなどは当然無く、アメリカから持ち帰るのにはイロイロと問題もあり……。結局持ち帰ってはみたものの、乗ってみたら韓国の一般道路を走るには車高が低すぎて、乗るたびに怖くて怖くて(笑)。それで1年くらい乗った後売ることにしました。

009▲特別副賞のスポーツカー。このスポーツカーも25,000ドル換算で税金を引かれたとのこと……。

――2012年は本当にいろんな大会で優勝されました。さんざん聞かれた質問だとは思いますが、当時稼いだ賞金はどれほどですか?

インフィル 残念ながら正確が額は覚えていません。しかし2012年当時の格ゲー大会の賞金額は、皆さんの想像より低かったんです。海外大会は、参加者の参加費をプールしてその一部を優勝賞金として支払うことが多いのです。EVOは人気種目だと優勝賞金が100万円を超えることがありますが、それ以外の種目は参加者が少なく、必然的に賞金額も減っていきます。そして中小規模の大会の賞金は優勝しても多くて20万円、少ない場合は5万円程度。それに税金問題もあります。今まで一番多くの賞金を受け取ったのは25周年大会でした。総額はスポーツカーを含めて約75,000ドルでしたが、各種目の賞金から税金として25%が引かれ、ここにスポーツカーを韓国に持ち込むため使った分など諸々の経費を含めたら……残った金額は300万円程度です。税金で5割弱が飛んでいくのを見たら、ちょっと悲しかったですね(笑)。今はカプコンカップという大きな大会があり、各ランキング大会に支援されるボーナス賞金もあるので、当時よりは賞金規模が増えました。

――2012年の快勝以後、全世界の格ゲーファンとプロ選手にマークされることになりましたね(笑)。そして、2013年東京ゲームショウでは、EVOで25周年大会で倒したウメハラ選手との10先イベントが開かれ、結果は敗北でした。

インフィル そのイベントで自分は2-10で負けました(※)。点差が大きかったので、負けた直後はかなり悔しかったです。ただ、悪い経験ではありませんでした。このイベントの時に日本向けのインタビューで、ウメハラ選手が自分との試合を見据えて練習を重ねたという話を見ました。これはものすごく嬉しかった。格ゲー界の生ける伝説とまで言われている選手が、自分だけを倒すために練習し準備したというのですから。だから潔く負けを認めることができましたし、いい対決ができたことに満足しています。あの時は、ウメハラという先生にひとつ教えてもらったような気分でしたね。「俺がここまで努力し、お前に勝った。お前ももっと練習してまた戦おう」みたいな。本当にいい経験でした。次会う時は絶対負けまいという気持ちもありましたが(笑)。

※東京ゲームショウの10先イベントでは、ウメハラ選手に逆襲された。なお「10先」とは、「先に10回勝利したほうの勝ち」というルールでのバトルのこと。

編集部注)東京ゲームショウに関する記述の順番を変更しました。(2016年4月25日11:37)

~第2回につづく

[PROFILE]Infiltration(イ・ソンウ)

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1985年、韓国生まれ。2009年、『ストⅣ』で本格的に格ゲーをはじめる。2010年、世界最大級の格ゲー大会であるEVOで、初参加にして3位をマーク。2年後のEVO2012では2冠を達成。ストシリーズ25周年大会でも2冠を成し遂げ、名実ともにストリートファイター界の頂点に立つ。2010年から2015年までの格ゲー大会優勝記録は50回以上。2016年にはゲーミングデバイスメーカーのRazerと契約し、韓国人初のストリートファイタープロゲーマーに。最新作『ストV』でもβテスト時代に100連勝という伝説を作り、現在もカプコンカップ優勝候補筆頭と言われている。『ストⅣ』シリーズでは豪鬼を筆頭にさまざまなキャラを使用。『ストⅤ』ではナッシュ。オンラインストリミングサービスサイトの「twitch」でゲーム放送「InfilTVRation」も運営中。韓国語はもちろん、英語、日本語までが飛び交う修羅場となっており、インフィル選手の違った魅力を感じること間違いなし。興味ある方は是非覗いてみよう。

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