【3分で予習】朝ドラ『わろてんか』モデル・吉本せいはどんな人?

(NHK公式サイトより)

2017年10月から2018年3月にかけて放送される、NHK連続テレビ小説『わろてんか』。いつも「笑い」を振りまきながら周りを朗らかにするヒロインが、「笑い」をこよなく愛する夫とともに「笑い」を商売とし、日本中の人を笑わせるべく奔走するといったストーリーです。

このドラマのヒロインのモデルとなっているのは、吉本興業の創業者・吉本せい。実際、吉本せいの人生は文字どおり波瀾万丈だったんです。いったいどんな人物だったのでしょうか。ドラマが始まる前に、ヒストリーを軽く予習しておきましょう!

娯楽大変革の時代を乗り切った吉本せい

明治の後半、商都大阪の老舗荒物問屋の惣領息子に嫁いだせい。しかし、夫となった吉兵衛(初名は吉次郎、通称は泰三)は、芸事好きが嵩じて家業を顧みず、ついには荒物問屋を廃業してしまいます。家業を潰した吉兵衛、次に手を出したのは、なんと場末の寄席経営でした。大阪天満宮裏の寄席「第二文藝館」を買い取り、これが吉本興業の基礎となっていきます。

その後は、夫婦二人三脚で苦労をかさね、大阪・法善寺の寄席「金沢亭」を買収し、「南地花月」と改称するなど事業を推し進め、ついに上方一の興行主に。ところが、その矢先、多くの寄席・演芸場と莫大な借金を残して、吉兵衛は急逝してしまいます。せい、34歳のときです。

残されたせいはここから力強く逆境に立ち向かうことになります。笑いの力を信じて実の弟ふたりの協力を得ながら、夫とともに目指した夢の実現へと突き進んでいくのです。

吉本せいヒストリー

  • 明治43(1910)年 20歳 夫・吉兵衛と結婚
  • 明治45(1912)年 22歳 吉本興業のはじまり。大阪天満宮裏の寄席「第二文藝館」を買い取って寄席経営を開始する
  • 大正04(1915)年 25歳 初の「花月」が誕生。法善寺の「金沢亭」を買い取って「南地花月」と改称する
  • 大正10(1921)年 31歳 東京進出。東京・神田の寄席を買い取って、翌年「神田花月」とする
  • 大正13(1924)年 34歳 夫・吉兵衛没。30軒近くの寄席と莫大な借金を抱え、吉本を率いることになる
  • 昭和03(1928)年 38歳 勅定紺綬褒章受章
  • 昭和08(1933)年 43歳 「漫才」の誕生。それまで「万歳」「萬歳」だった表記を『吉本演芸通信』のなかで「漫才」に改める
  • 昭和09(1934)年 44歳 漫才「早慶戦」のラジオ放送。横山エンタツ・花菱アチャコの漫才「早慶戦」がラジオの寄席中継で放送
  • 昭和10(1935)年 45歳 脱税で逮捕。脱税事件の容疑者として逮捕される
  • 昭和13(1938)年 48歳 通天閣購入。初代通天閣を31万円(現在の価値で数億円)で購入する
  • 昭和23(1948)年 58歳 会長に就任。吉本興業を株式会社に改組し、会長に退いて、実弟の林正之助が社長に
  • 昭和25(1950)年 60歳 3月14日没

せいが駆け抜けた明治から大正、昭和は、新しい技術・文化のうねりが日本の世相を大きく変貌させていた時代。大衆演芸の人気は落語から女義太夫、安来節、万歳〜漫才へとめまぐるしく移り変わっていきました。娯楽の楽しみ方も寄席・演芸場から、レコード、ラジオ、映画へと次々と登場する新しいメディアに取って代わられていった激動の時代です。

そしてそれぞれの時代ごとに、ひとクセもふたクセもある興行主や芸人たちが入れ替わり立ち替わり登場して世間を騒がせ、やがて消えていきました。もしかしたら、今以上にサバイバルの厳しい芸能界だったかもしれません。

そんな奔流を見事に泳ぎ切り、今日まで続く「笑いの王国」吉本の礎をしっかりと築いた吉本せい。彼女が歩んだ紆余曲折の60年の人生は、痛快で誰の目にも興味深く映るはず。『わろてんか』ではどのように描かれるのでしょうか。

<参考リンク>
NHK|連続テレビ小説・わろてんか

『わろてんか』の世界をさらに深く読み解く一冊!

NHK連続テレビ小説『わろてんか』のヒロインのモデルとなったのは、明治から戦後の昭和にかけて日本の興行界を牽引した実在の人物・吉本せい。本書では、吉本興業の創業者で「女今太閤」とも呼ばれた彼女の60年の生涯に迫ります。この本を読めば、『わろてんか』がもっと楽しくなります!