え、この銅像、知らないの? 「上野公園」で見かける偉人像をまとめてみた
待ち合わせするときに目印として便利なのが「銅像」や「石像」。名前は知っていても、“どんな人物”で“何をした”か意外と知らなかったりしませんか? チョット知っておくだけで、待ち合わせにやってきた人に対してドヤ顔できるというものですw
今回は毎週末、多くの人で賑わう東京・上野公園(正式名称は上野恩賜公園)で見かける銅像・石像をチェック! アナタは何体わかりますか?
上野恩賜公園の面積は538,507㎡(Wikipediaより)。とりあえず東京ドーム11.5個分の広大な園内には、科学・芸術関連施設があるほか、上野動物園にも行けますね。写真は大噴水のある広場。寒々しい!
では、上野公園内の銅像・石造、学んでいきましょう!
西郷隆盛像
JR上野駅のしのばず口から公園に入って、石段を上ったすぐ先
1898(明治31)年建立
知ってて当たり前度:★★★★★(頭部の造形がちょっと大きめ)
西郷隆盛像は各地にありますが、「上野の西郷さん」は特に有名ですよね。高村光雲による作品で、1898年(明治31年)に除幕されたそうです。西郷さん(1828〜1877)が軍人・政治家として江戸時代から明治時代にかけて活躍したことは、日本人なら教科書で学んでいるでしょう。薩摩藩(現・鹿児島県)に生まれ、藩主の島津斉彬の目にとまって出世するも、斉彬の急死により一時失脚。復帰後は薩摩藩と長州藩による軍事・政治的な協力関係「薩長同盟」を成立させ、「戊辰戦争」でキーパーソンの一人となり、江戸城を無血開城させます。その後、士族による反乱「西南戦争」の指導者として陣頭に立つも敗れて自ら命を絶つという、波乱万丈な生涯でした。
小松宮彰仁親王像
表門を正面に見て左側
1912(明治45)年建立
知ってて当たり前度:★★☆☆☆(これを機会にぜひ)
馬上の精悍な姿が印象に残っている方は多いかと思います。小松宮彰仁親王(1846〜1903)は日本の皇族で陸軍大将。皇族でありながらヨーロッパの君主国の例にならって、率先して軍務につくことを奨励しました。「戊辰戦争」では、奥羽征討総督として官軍の指揮を執っています。その一方で、日本赤十字社の総裁を務めるなど、社会奉仕活動にも尽力されています。
野口英世像
大噴水から東京国立博物館を正面に見て右手の林内
1951(昭和26)年建立
知ってて当たり前度 ★★★★★(銅像の存在は意外と知らない?)
南米やアフリカに渡り、黄熱病や梅毒の研究に尽力した医学者ですね。その功績により、ノーベル医学賞に3回ノミネートされています。現在使われている1,000円紙幣(E号券)の肖像画にも採用されているので、誰しもがわかるかと思います。日本各地に造立されている野口博士像も、実は上野公園(しかも噴水広場近く)にあることを知らない方、わりといるのでは?
ボードワン博士像
大噴水から東京国立博物館を正面に見て左手の林内
2006(平成18)年建立
知ってて当たり前度 ★★☆☆☆(上野公園の父です)
本名はアントニウス・フランシスカス・ボードウィン(1820〜1885)。オランダ出身の軍医で、江戸幕府の招きにより来日、蘭医学の普及に努めました。上野恩賜公園ができる前、病院開設の話が上がったときに自然が失われるのを危惧し、公園建設を政府に進言しました。今の公園があるのもこの人のおかげです。実はこの像、初代(ひげもじゃ)が1973(昭和48)年に建立されているのですが、なんとモデルが「ボードワン博士の弟」だったことに気づき、後年に造り替えられたそう。オランダ政府の資料ミスらしい。
安井誠一郎像
上野駅の公園口から入ってすぐにある東京文化会館の入り口に
1966(昭和41)年建立
知ってて当たり前度 ★☆☆☆☆(初代都知事ですぞ)
安井誠一郎(1891〜1962)は明治から昭和にかけて活躍した政治家です。第6代、第8代の東京都長官(現・東京都知事)を務め、初代東京都知事にも就任。戦後、東京の復興、発展に力を注ぎ、東京オリンピック(1964年)の招致にも尽力しました。上野公園に像があるのも納得ですね。